こんばんは。さまよえる中年求職者のデュマです。
面接で、「あ、終わったな…」と思う瞬間、ありますか。
私は…結構感じますw
面接時間が短いうちに質問タイムに移行した時とか…。
面接官とのやりとりが、イマイチかみ合わずに終わった時とか…。
面接官の言動から、明らかな怒りの感情を感じた時とか…。
質問から完全にズレた解答を述べて、面接官がぽかんとしてた時とか…。
募集給与よりもはるかに高い希望金額を提示した時とか…。
労働者側の社労士が目標でした、とバラシてしまった時とか…。
本当は働きたくないんです! とホンネ言ってしまった時とか…etc
※いや、働きたくないわけではなくて、要はただの労働がしたくないって話…。
お、多いなw
もちろん、思い出せば、まだまだ出てきます。
思い込み??
いやいや、そんなことはないです。
自分で地雷を踏んでしまったことに気付く。
特にこの2年の転活の間に、
そういった気配を感じ取れるようになりました。
特に産カンの学習をしてから、
自分の揺れ動きとか感情、同じように相手の反応など、
昔よりは感じられるようにはなりました。
ただ、それを活かせているのかどうかには、疑問符ですねw
履歴書等は、けっこう美しい言葉を用いて、
持っていくのですが…。
どうも、面接になると、ホンネの部分が出てしまう。
当然、企業側の人間もしてきましたので、
採用コスト、その先の育成費用も考えれば、
雇用する側にとってのリスクを感じさせる
(特に継続性を感じさせない方)を採用する気にはならん、
というのは分かります。
そして自分も、そういう方を採用するわけにはいきません。
※あ、結局メンバーシップ型な考え方ですねw
しかし、自分が採用される側に回った時…
それを知りながらも…嘘はつけません。
エントリーの理由がおカネかスキルか、理由はどうあれ…
進みたいと思っている方向がある以上、
嘘でも、
一生ここで働きます!!
とか、
ずっと頑張っていく所存です!!
とは言えない。
であれば、結局、自力で何とかするしかない…って話なわけです。
とりあえず、行政の方もぼちぼち打ち止めでしょうし、
しばらくは転職活動をやめて、
無職ライフを満喫するかーなどと。
* * *
色々なことに疑問をもち、考えることが、
必ずしも幸福につながるわけじゃない。
そんな感じの話が、インテグラル理論の中にありました。
ある組織や空間の中の大多数の人が思う「普通」。
そこから乖離していくことが、どれほど孤独で、
どれほど辛いことか…。
特に身近な人と考え方が乖離するほど、
実は孤独と苦悩が深まることにもなる。
このコロナ禍で、それを感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
…ティール段階まで到達すれば、
もはやこんなことでも悩まなくなる、のでしょうかね。
結局、何がしたいのか、どうなりたいのか、
そんな新卒の学生ですらもっと真剣に向き合っている課題を、
クリアしてないんだなぁ…とw
しばらく人肉マシーンでいいので、
どこかいいとこありませんかねw
ちなみに、AFP研修、無事修了しました。
頑張って黒字にした甲斐あったわー。
レポートも、ご夫婦の老後の相談に乗る体で、
真剣に挑みましたよ。
満足いく点数で修了できました。
これでFP2級の受験資格は得た。
ホント、解答のある勉強は、ラクだわw
そして、目指している相談業務には、解答はない…。
あるとすれば、それは、クライエントの中だけに。
それでは、おやすみなさい。